旅に出る醍醐味… それはひと言では言えないけれど、 やはり「出会い」だと思う。

人、景色、そこにある文化。 もし旅に出ていなければ、 気づくことなく過ぎてしまうであろうことに、何度も遭遇し、心が試されてきた気がする。 いま、陶芸をしているのも、旅先の出会いがきっかけだ。浪人時代、高校の友人に 「受かったら、オーストラリアに行こう!」 と誘われていた。図書館での勉強の息抜きは 「地球の歩き方 オーストラリア」だった。 かなり熟読して、夢が膨らんでいった。 初めて海外を旅したのは、大学1年生の春休み。あるのは帰りのチケットだけで、 ホテルの予約も取らずに出発。いわゆる「バックパッカー」と呼ばれる旅に出かけたのである。

 

すべてが新鮮で、刺激的で、 現地の人や旅人との交流がこんなにも 楽しいものだとは思わなかった。オーストラリア旅行で、旅の魅力にとりつかれた僕は、 帰ってからすぐに、また次の旅がしたくなった。 興味は、自然とアジアへ向かっていき、 バイトでお金を貯めて、 タイの山岳地方をたずねた。この旅でさらに旅にのめりこみ、 いつしか世界をゆっくり見たい、もっと冒険がしたい…という思いが募りとうとう、大学3年生が終わった春から1年間休学し 世界をまわる旅へと出発したのである。

 

1年間の旅の始まりは、大阪から上海への片道フェリー。船で中国に入国し、そこから陸路でベトナム、ラオス、カンボジア、 タイをまわって、飛行機でアフリカへ行こうと思っていた。でも、フェリーの中で仲良くなった同じ旅仲間のおかげで、 進路を変更することになった。チベットへ行くべきだと強く薦められたからである。しかも彼らは、インド、中近東を通って 陸路でアフリカまで行けることも教えてくれた。


チベット、ネパール、インド… どの国も、ものすごく宗教色が強い国だ。人々の行動基準や思想、文化は、 それぞれの信仰心の上に成り立っている。それゆえに、街は宗教的な芸術―寺院建築、祭り、衣装や雑貨にあふれている。僕の感じるアジア的な感性は、ここに根ざしていると思う。そのような環境が色濃く残るインドで、 僕はヘナアート(メヘンディ)に出会った。

 

ヘナは、消えるタトゥとして世界的に知られている。インドのみならず、イスラム圏や北アフリカ一帯で古くから行われていて、インドでは結婚式で、花嫁が一生の幸せを祈って両手両足に描く特別なものや、女性の日常のおしゃれとしてよく見かけるものである。ヘナの原料は、ある植物の葉を乾燥して粉末にしたもの。水などでその粉末を練ってペースト状にし、 ケーキのデコレーションのようにチューブから絞り出して模様を描いていく。 特にインドでは、緻密な模様を丹念に描き込んでいくのが特徴。この模様を数時間後に掻きおとすと、 茶色の模様が肌に定着しているのである。

 

ヒンドゥー教の聖地、ヴァラナシ(ベナレス)に滞在している時、たまたま知り合った日本人に「ヘナを習いに行かない?」と誘われた。はっきり言って、絵は苦手だった。 創作力もあまりないと思っていたので躊躇したものの、 自分の中の何かを変えたい!という思いがわき上がり、行くことにした。

連れて行かれた場所は、生活用品などを売っている 庶民向けのお店の一室。 キリッとした、きつい印象の20代後半ぐらいの女性が先生だった。 彼女の名前は、アナミカ。

 

 

日本人3人で、みっちり1週間、ヘナの基本を習得するコースを申し込むと、さっそくアナミカに鉛筆を持たされた。まず最初は、鉛筆でデザインの基礎レッスンを受けた。 徐々に複雑な模様になっていく。 最初はとまどっていたものの、 描き込んでいくと、けっこうさまになってくる。 デザインができあがるにつれて、だんだん楽しくなってきた。

 

そんなこんなで1回目のレッスンは終わったけど、 とあるインド人に「ヘナを習っている」話をしたところ、「そんな高い金を払って行く必要はない。自分の妻もヘナを自分で描いている。友だちだから、お金なんて要らない。」 と持ちかけられた僕たちは、その男の妻にヘナを習うことにした。 (結局、数日後シルクを買うよう、しつこく勧められたのだが…) アナミカのレッスンは最初の1,2回行っただけで、お金も払わず、勝手にキャンセルしてしまったのである。 僕たちは、アナミカを裏切ってしまったのだった。

 

一週間後、いっしょにレッスンを受けていた 日本人は インドを出国してしまい、 僕もヴァラナシを発とうか…と思っていたところ、 アナミカから借りていたノートと画板が目についた。「せめてこれは返しに行かないと…」と思った僕は、 3人分の画板と新品のノートと鉛筆を持って、 思い切ってアナミカのところを訪ねた。アナミカは、買っていったノートと鉛筆を受け取らず、 「これは私の渡したノートではない。要らない!」と突き返した。 本当に怒っていた。 そして、「私の渡したノートを返して!後で持って来なさい!」と言った。きっとお金の話になるだろう。 1,2回分のレッスン料を請求されたら、値切ろう… などと考えて いた僕は、 面喰ってしまった。 そして、再びノートを持参すると、奥の部屋へ通された。 「これを写しなさい。」と渡されたのは、 ヘナのやり方が、日本語に訳してある手書きのノートだった。

 

僕はわけがわからなかった。

「一,二回分のレッスン料をいかに値切ろうか」 ばかり考えていた僕に、アナミカは言ったのだった。

「あなたの手は、ヘナで汚れている。しかも、すごく汚く。きっと、どこかで悪いヘナの仕方を習ったのでしょう?私はヘナが好きだし、愛している。だから、悪いヘナのやり方を覚えて、日本に持って帰って欲しくない。

私が正しいヘナのやり方を教えるから、また明日からここに来なさい。お金の問題じゃない。明日来て、払いたければ払いなさい。」と。

僕は、その言葉を聞いて、自分が最低だと思った。そしてアナミカは本当にプロだな、と。 僕は写しながら、恥ずかしく、 情けなく、涙が溢れてきた。次の日からまたアナミカにヘナを習った僕は、 徐々にヘナの楽しさを覚えていった。 最初は自信がなくて、何を描いていいいか わからない僕にアナミカは 「あなたは迷いすぎ。もっと心に浮かぶものを自由に描きなさい。」

 

そんなアドバイスを受けて描くうちに、 だんだん描けるようになってきた。 絵を描くことが面白くなって「創作」ということに興味がわいてきた。 それまで日本ではラグビーとバイトに明け暮れていた僕に、 新しいフィールドができたような気がした。

1年間の旅の後、大学に復帰し、就職活動をした。 世界を旅していた中で、どの国に行っても 「ジャパンマネーはすごい」と言われ続けてきた僕は、 ジャパンマネーの中心に行きたくて、 大企業に就職してみたいと思っていた。 先輩の紹介もあって某大手保険会社に就職し、 サラリーマンとして新しい出発をしたのだった。

 

忙しい毎日の中で、サラリーマンになった僕の趣味の一つが料理。 休日にはスーパーに行って食材を買い込み、いろいろ作ってみたりした。 そしてその流れで、料理を盛るうつわにも、自然に興味が沸いてきた。 「自分で作ったお皿に料理を盛りつけたら楽しいだろうなあ」と 思っていた矢先、とあるフリーペーパーの習い事コーナーに のっている「陶芸教室」の欄が、ふと目についた。 そんな何気ないいきさつで、陶芸教室に行くことになったのである。

 

形を作り出すことの面白さに加えて、 焼きあがりを想像して釉薬を選び、焼成。 実際に使ってみる。こんなに楽しいことはない! と、のめり込むのに時間はかからなかった。 まず、陶芸は、焼く前の土の色と焼いた後では全然違っていること。 そして釉薬。 これこそまさに、想像できない変化を起こす。 鮮やかな色、渋いくすんだ色、鈍く光るもの…。 初めのうちは、なぜなのか全然わからなかった。 せっかくいい形ができても、 釉薬がイマイチだと、すべて台無しになる。 何度も失敗してきた。 今でも、質感、色を求めて、常に新しい調合を試みて、失敗し…。 生涯、続けていくのだなぁと思う。 ルーシー・リーは「釉薬の調合は料理と同じなの」 と言っていたけれど、 ちょっと調味料の種類や量を変えるだけで変化する ところは、似ているかもしれない。

 

陶芸教室では物足りなくなり、 陶芸をもっと本格的に勉強したくなり、 会社をやめて陶芸を生業にすることを考え始めた。インターネットなどでいろいろ調べているうちに、 京都に陶芸の訓練校があることを知った。 急遽、会社を辞める決意をし、 その訓練校を受験することを決意。 当然、上司をはじめ周りは大反対。 「お前は馬鹿か」「何を考えているんだ」 数々の説教、説得を受けた。当然のことだと思う。

 

でも反対されても、自分の中で決意は固かった。 本当に、どうしても訓練校に入りたかったので、 「会社も辞めてきたので、どうしても入学させてください!」 と面接でアピールした。 面接官の先生は「会社を辞めてきた!?」とため息をついていたけれど… 世間的に見れば、芽が出るかわからない陶芸を今から始めるよりも 一流企業に勤めている方がいいということなのだろう。

 

しかし…これが功を奏してか、無事入学することができ、 一年間陶芸をみっちり学ぶことになった。 陶芸教室には通っていたものの、いざ本格的に習うとなると これまでの知識はお遊び程度のものだったな、と思う。 本当に一から、学び直すことになった。 そうやって陶芸を学ぶうちに、 「いつか陶芸とヘナを掛けあわせてみたい」 という思いがふつふつと湧いていた。

 


本当のヘナは、チューブから出たペーストを数時間乾かし、 描き落として、肌に定着した図柄(絵)が完成形だ。 僕は、逆に描き落とす前のモコモコ感が好きだったので、 絵としてのヘナではなく、陶芸技法の「いっちん」でやろう!と決めた。 実際に手に描くヘナとは違うので、 最初はなかなか思い通りにできなかったが、 試行錯誤を繰り返すうち、少しずつ知識と技術が身につき、 現在の作品が出来上がっている。

今後は、土や釉薬の吟味、彫りやデザインなど、 新しいものを取り入れ、生み出して、 独自のテイスト―和アジアン―を作っていくことが、 目標だと思っている。 そのためには、またアジアの空気を 充電しに行かなければ!と思いつつ。

 

 

 

END.